幸せには色と温度がある
『幸せな自分』を想像する。
『幸せ』はすでに手にしているのだと、自分の中に落とし込む。
ベッドに入り目を閉じてそんなことを考えていると、やがて全身が温かくなって、気が付いたら眠りに落ちている。
幸せには色と温度がある。
頭で生きる世界には、色と温度が乏しい。
けれど気がつくと大抵どの瞬間も頭で生きている。
心が発信源の行動には色と温度が灯る。
けれど心は脳にあると言う。
難しい。
愛知県で『無いフェス』というイベントが催されていた。
私の知る限りでは今年で2回目だ。
主催者の方の実家を拠点とした、全てが手作りのDIYフェス。
私は現地を訪れることもなく、ただXのタイムラインに流れてくるポストを眺めているだけの人間だ。
友人のバンドが出演するから。そのバンドメンバーの方が主催者だから。
興味を持った理由はそんな程度のもの。
その他出演バンドも知らない人たちばかり。
けれど、きっとそこには色と温度があったのだろうと、容易に想像ができる。
心が震える瞬間というのはそうそう無い。
というか、しょっちゅう心が震えていたら身が持たない。
けれど、『自分が生きている』という実感は、心の震えとともに湧いてくるものなんだろうという気がする。
あぁ、生きたい。
再生の風景
the cabsが再結成したらしい。
the cabsは自分の人生に大きな影響を与えたバンドだった。
故に自分の中でも特別な存在だ。
無職だったある時期に、取り憑かれたように東京や名古屋のライブハウスに足を運んだ時期がある。
といっても、キャブスのライブは一度も観たことがない。なんせ、キャブスを知ったのは解散後だったのだから。
キャブスを好きになり、キャブスを好きな人たちの音楽を好きになった。名前を挙げるならquiqui、never meant to be、ジャズマスターが鳴った後に、eito、lawrence、28時-仄かなworld…等々。バンド以外にも、個人として繋がった人たちもたくさんいる。そうした繋がりが当時の自分を生かし、自分と音楽の距離をどんどん縮めていってくれた。
キャブスを知ったのは、解散報道がきっかけだった。
Gt.高橋國光氏の失踪、帰還。メンバーの声明。
私は当時、キャブスの曲は確か一曲も知らなかったと思う。
けれど、その解散報道がなぜか自分の内側を大きく揺さぶった。
そこからキャブスの曲を聴き漁り、國光さんのブログを読み漁った。
キャブスを好きな人たちの中に、國光さんのことをまるで教祖的な存在として強く焦がれている人は少なくなかったと思う。私もその一人だった。
きっとキャブスの曲に惹かれて好きになったのではない。高橋國光という人の持つ何かに、強烈に惹きつけられたのだ。
キャブス解散後、義勝さんはKEYTALKとして活動。
一太さんはplentyやdry as dustに加入するも、割とすぐ脱退していたと思う。
その他の活動については詳しく追っていないので私は知らない。
國光さんはというと、長い沈黙のあとにオストライヒとして音楽活動を再開。
すごく驚いたし、また音楽に触れてくれたことが嬉しかった。
キャブスほど熱心に聴きはしなかったものの、オストライヒは現在進行形で聴く音楽のひとつだ。
正直、音楽との距離は、あの頃を思うと比べものにならないほどに離れてしまった。
日常的にもあまり熱心に聴くことがない。
そんな自分にとって、現在進行形で聴きたいと思う音楽は希少だ。
そんなこんなを経て、今回の再結成報道。
界隈は大いに賑わっていて、ライブのチケットを取るという人もたくさん見受けられた。
自分はというと、the cabsは『過去の音楽』という位置付けで、現在の自分に近い位置にはない。
報道を知った今朝の出勤時、やっぱり再生の風景を流してしまったりはするわけで、それなりに感慨深さはある。
だからこんな風に長ったらしい文章を書いて感傷に浸ったりもする。
とはいえ、「またキャブスの音楽が聴ける!」と発狂するような心境ではない。
自分もキャブスも、それぞれの時を刻んだということなんだろう。
キャブス再結成のきっかけのひとつとして、義勝さんのKEYTALK脱退の件があるのかなと思い、Xで『KEYTALK』と検索をかけてみた。
複雑な気持ちを吐露する人、憤慨している人……あまり穏やかではなかった。
KEYTALK脱退については義勝さんが個人で発信しただけで、グループとしてはこれを認識しておらず、結局はっきりとした公式発表もないまま宙ぶらりんの状態だ。
KEYTALKのことは自分は本当に何も知らないので、この件に関して言えることも何もない。
ただ、何となく義勝さんの精神状態がよろしくないんだろうなということは感じた。
KEYTALKファンからすれば、KEYTALKでの活動をどうするのか何の説明もないままにキャブス再結成が発表されたことで、「ファンの気持ちはどうでもいいのか」「まずKEYTALKの件に決着をつけるのが先だろ」と、KEYTALKを蔑ろにされた印象が強くなるのも無理はない。
一太と國光はなんでこのタイミングでGOサインを出してしまったんだとなるのもわかる。
再結成に沸くキャブスファンに対して苛立ちを感じるのも仕方ない。
義勝さんはまずKEYTALKのことをはっきりさせてからキャブスを再始動させるべきだったと、私も頭ではそう思う。
ただ何というか、何だろうな。
踏むべき手順を踏めないこととか。
そうすることでしか呼吸を繋ぐことができない、みたいな。
國光さんが失踪した時のように。
義勝さんもそういう感じなのかなぁとか、
the cabsってそういうバンドだよなぁとか、
そんなことを感じてしまう自分がいるのも事実。
そしてきっと、the cabsの『そういうところ』に、どうしようもなく胸を引っ掴まれる人も居ると思うんだよな。
あの頃の自分みたいに。
終わりを告げる時まで
旦那が胆嚢摘出の手術を無事に終えて退院してきた。
会社の健康診断で肝臓の数値が異常に高く、どうやら胆石が原因と分かった。
しかし大の病院嫌いな旦那、誤魔化し誤魔化し日々を過ごしていたのだけど、今回半ば強制的に連れて行く形で病院へ。
諸々の検査を経て、手術を受けることとなった。
ただの病院嫌い程度に思っていたのだけど、どうやらそうでは無いらしく、喩えるなら「高所恐怖症」とか「閉所恐怖症」みたいに、居ても立っても居られなくなるほど堪え難い恐怖に襲われるらしかった。
そんなわけで入院自体がすでに暴露療法みたいなもんで、一般的な人にとってはなんてことない一つ一つが、彼にとっては苦行以外の何物でもなかった。
悪夢のような四日間。
手術は無事に終わり、痛みで身体が言うことをきかない中、早々に退院。
旦那曰く、今回の手術で人生観が変わったらしい。
なんせ今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなった。
身体を起こせること、点滴が外れること、水分が摂れること、食事ができること、歩けること、トイレに行けること、眠れること。
当たり前が当たり前でなくなった後、ひとつひとつまた出来るようになるたび、"ありがたい"という念が湧いてくるようで、しきりに感謝を口にしている。
身体の置き場がなく困っている彼を見て、娘が椅子を差し出してくれた。
そんな我が子の行動に「優しい子に育ってくれて嬉しい」と溢していた(本人の居ないところで。直接は言えないらしい)。
物を食べると、身体が食べ物を消化しようと頑張っているのが分かるらしい。
そんな旦那の様子を見ていると、本当に日々当たり前に出来ていることが、当たり前なんかじゃないということが分かる。
今日も寝る体勢が定まらなくて、布団を積み上げたり、本棚を背に直角に座ってみたり、パソコン椅子に座って布団をかけたり、何をやっても身体が落ち着かないようで本当に苦労していた。
少し落ち着いたかなと思っても、痰が絡んで咳払いすると、激痛で寝ていられなくなる。
今はまだ痛み止め無しでは眠れないみたいだ。
私が入浴を済ませて諸々の片付けをして寝室に戻ると、疲れきった様子で熟睡していた。
このまま朝までぐっすり眠れると良いのだけど。
今回の手術を乗り越えた彼は、「頑張って生きようと思う」と言った。
その言葉は何となく紡がれたものではなく、きちんと血が通っている言葉に思えた。
震えた声で頼りないけれど「ここにいるよ」
鑪ら場ライブ、本当にありがとうございました。
私の最後のライブはどうやら2019年だったらしい。(いつも自分の曲を聴いてくれている人がそう教えてくれた)
滋賀で一人暮らしをして、とことん自分の感性と向き合い生活空間を整えていた日々。
夜風に当たりながら、悴んだ指先をホットコーヒーであたためていた日々。
あれから生活は変わり、静寂から一転。
毎日は賑やかになった。
結婚して、子ども二人の母親という立場になって、日々の流れに取り残されないように必死で喰らいつく。
旦那も、同居している旦那の母も音楽をやる人で、子ども二人もピアノを習っている。
いわゆる音楽一家というやつで、日常に音楽は存在している。
けれど『自分の心を映し出す音楽』みたいなものは、どんどん遠ざかっていった。
必要が無くなった、とも言えるかもしれない。
そんなことをしている場合でない、という感覚だったかもしれない。
ある程度心に蓋をしていないと、目まぐるしい日常をこなしていけなかった。
ともさんが企画ライブに誘ってくださって、今のこんな状態でライブなんて出来るのか、技術的な面ももちろんだし精神的な面で気持ちを持っていけるのか、自信がなかった。
けれど、なにか変化が欲しい。
自分を置き去りにしているようなこの日常に、ふと立ち止まって自分と向き合える瞬間が欲しい。
そんな思いがあって、出演を決意した。
当日、旦那の運転で子どもも一緒に名古屋へと向かう道中、定まらない気持ちでふわふわしていた。
会場近くで下ろしてもらって一人になる。
不思議と、鑪ら場の入り口には抵抗を感じなかった。
ふわふわしたままリハを終えて、間もなくオープン時間を迎える。
次々とお客さんが入ってきた。
ともさんの顔見知りのお客さんも多いみたいだった。
そして、自分を観に来てくれたお客さんの姿も見え始める。
その半分はめちゃくちゃ久しぶりで懐かしいメンツで、その半分は初対面の方達だった。
ともさんの挨拶からライブが始まる。
芽衣子さん。
ふわふわした方で(私の定まらないふわふわとはまた別のふわふわ)、気取らず気負わず、自然体な歌が印象的だった。
目を閉じて音楽に身を預けたら心地よかった。こんな感覚は久しぶりだった。
偶然にも自分と同じ三重県伊賀市の出身で、なんと服装も被っていた。
ヒラウチマイさん。
声も演奏も凛として一本軸が通っているような、芯の強さを感じた。
Spotifyで音源が聴けるので事前に聴いていたけど、生で聴く歌はもっと良かった。
ピアノ弾き語りで演奏された『そのまま』という曲がとても好きだ。
私は緊張しすぎて指が冷たくて吐きそうだった。
私には40分間お客さんを楽しませるようなライブや、上手なMCなんか出来ないことは分かっていた。
何をやればいいか、何が出来るかではなく、何をやりたいかを自分に問い続けた。
とても必死で余裕なんかなくて、拙い、危ういライブになったけど、でもあの40分間、間違いなく私は私だった。
あの場に集った人、あの空間すべてを感じながらライブをした。
ライブを終えると、感謝と幸福感でいっぱいだった。
みんなみんな本当にありがとう。
そして私がこの日のライブを完遂するために、旦那の存在は不可欠だった。
音源制作を後押ししてくれたり、当日の送迎、そして私がライブに集中できるように子どもたちを連れて出歩いてくれた。
終演後に遠方から来てくれた友人たちとプチお茶会をさせて頂いたのだけど、最初は子どもたちも居るし無理だなぁと断ろうとしていて、ふと隣にいた旦那に「友達がお茶誘ってくれてんけど…」と話したら「こんな時くらい行っておいでよ」と快く送り出してくれた。
そのおかげで終演後にも楽しいひとときを過ごさせてもらった。
私が逆の立場で同じことをできるかと考えたら、到底できない。
時間配分、駐車場、どこにどういうルートで連れていくか、諸々考えなきゃいけない事が多すぎる。
旦那のおかげで子どもたちも1日名古屋旅を楽しめたみたい。
帰宅後、ライブを見て感じたことをたくさん話してくれた。
カッコ良かった、伝わったと言ってくれた。
その言葉ひとつひとつが本当に嬉しかった。
たくさんの人に助けられて支えられて、本当に素敵な時間を過ごさせてもらいました。
どうしようもないぐだぐたMCだったけど、一生懸命伝えようと話したら、頷きながら一生懸命受け取ろうとしてくれている人の姿がたくさん見えた。
それがとても嬉しかった。
終演後に声をかけてくれた初対面のお客さんもいたし、無料配布デモのお気持ちBOX(ともさんが当日作ってくれた。本当にありがとうございます)にもお気持ちをたくさんいただいた。
この感謝をまた何らかの形で、音楽で恩返しできるように、今日からまた頑張ります。
震えた声で頼りないけれど
「ここにいるよ」
『沼の底から』のそのフレーズを歌う声は、本当に震えていた。
泥を飲み込むような日々を生きていたあの日の自分にも、きっと届いたと思う。
神経質を治すには
何かひとつ嫌なことがあると、そのことに強く頭を支配されてしまう。
一夜明けても簡単には拭えない。
それどころか、繰り返しそのことについて考えるうちに嫌悪憎悪不安恐怖をよりいっそう深めてしまう。
だから始まりが1だったとしても、自分の中で勝手に10にも100にも膨れ上がっていくのだ。
先日、大学生のバイトの男の子と一緒にレジに入った。
どうやらその前の日に、部長や店長から理不尽な注意を受けたらしい。
「ほんまきっしょいっすわ」と延々と愚痴っていた。
自分は基本的に相手の話は否定を挟まず聞くスタンスなので、「災難やったな〜」とか「店長らも忙しくて機嫌悪かったんかもな」とか言いながら頷いていた。
だけど内心、きしょいという言葉や部長店長に対する彼の負の感情が私には重かった。
年々、本当に神経質になっている気がする。
汚い言葉を浴びると辛くなっていく。
特に子どもなんて「きもい」とか「うざい」とか平気で使う。
そういうのを聞き流せなくなっていて、いちいち心に引っかかる。
自分だって子どもの頃、特にネットに触れてからは相当口汚かったものだ。
目にしたもの耳にしたものを安易に真似る子どもの気持ちは理解できる。
だけど許せない。
受け入れられないものが多くなった。
自分の神経質さが生活を窮屈にしていると感じて、神経質を治す、緩和する方法が無いものかと調べてみた。
すると、『森田療法』にたどり着いた。
実は森田療法には十年ほど前にすでに出会っていて、当時も強く感銘を受けたものだった。
ちょうど働けなくなって対人恐怖がひどかった頃、認知行動療法やマインドフルネスなど様々な心理療法を調べていた中での出会いだった。
森田療法は
『不安や恐怖は自分がこうありたいという、突き詰めれば「生きたい」という欲求から生まれるものであり、それを取り除くことは不可能である。不安や恐怖が生じても、それはそれとして、やるべき事をこなしていく』
という目的本意の考え方をする。
要するに、不安だろうが怖かろうが必要な行動を取れるようにするという話。
森田療法を提唱した森田正馬さんは『神経質を病気として治療すると決して治らない。普通の健常者として取り扱えば容易に治る』と言っていて、これにはひどく救われた気分になった。
自分の欲求とは何なのか。この不安や恐怖や生きづらさはどこから生まれているのか。
じっくり考えてみた。
そして、自分は『自分のままで他人と関わっていく』ことを強く望んでいるのだという答えに行き着いた。
「自分のままで」というのが、これまでは余計な不安や恐怖を感じることのないフラットな自分のことだと思っていた。
でも今は少し違っていて、どうしようもなく生じる不安や恐怖を携えてでも、自分を飾らない、隠さない、殺さないことだと思っている。
長い間、自分を飾って隠して殺しているうちにそれが当たり前になって、裸の自分というものが見えなくなってしまった。
だから今は、裸の自分をもう一度見つけてあげる旅。
ゆっくり、一歩ずつ。
真面目すぎるひと
自分は真面目すぎるんだろうなぁなどと考えながらふと前回の記事を見たら、全く同じような内容が書いてあった。
どうやら自分は真面目すぎるらしい。
3月から仕事で業務入替があって、現在レジ研修を受けている。
ある1人のパートのおばちゃんが、電子決済やら色々複雑化した新レジに大きな不安を抱えてるらしかった。
今日そのおばちゃんが自分の後に出勤してきて、ちょうどそのタイミングでトレーナーさんが休憩に入ったので、残ったパート4、5人で教え合いっこしようという話になった。
それでロープレが始まったんだけど、いきなり応用的なことをどんどんやり始めて、明らかにそのおばちゃんは混乱していた。
どう見てもそんな応用的なことをやる段階に到達していない。
「私もうこんなん無理やわ…」と落胆するおばちゃんに、周りは「慣れやで、慣れ!」と笑って、あれはああで、これはこうでとレジを目まぐるしく操作する。
おばちゃんの表情が消えていく。
その時レジ1台しか開けてなくて皆そこに集まってたんだけど、なんかもう見てらんなくて、トレーナーさんを呼びに行って残り2台のレジを開けてもらった。
居ても立ってもいられなかった。
分かるやつは分かるやつで勝手にやっとけよと思って。
おばちゃんにマニュアルあるよと教えて、一緒に1項目ずつ見ていった。
そのうちにトレーナーさんが戻ってきて、おばちゃんに丁寧に教えてくれた。
それでやっと自分も安心した。
「分かる分かる」と言って自分たちのペースで進めていく人。
そこで固まってる人になんで気付けないんかな。
研修に割ける時間が少なくて、トレーナーさんの話を聞いて必死に覚えようとしているのに、急に割り込んできて「これは分かるやろ」「これはこうだよな」と自分のペースでどんどん操作していく店長。
自分のことしか見えとらんやん。
ハナから「私分からんし!」とかゆうて覚える気もないような人間はもうすっ飛ばしてええと思うけど、そうじゃなくて、覚えなきゃ覚えなきゃって必死になってる人をすっ飛ばしたらアカンやろ。
分かる人間のペースで教えたって分からんに決まっとるやろ。
初めて「この職場嫌だな」と思った。
勤め始めてから一度も思ったことなかったのに。
明日からレジが変わってお客さんの前に立つのに、自分はずっとベーカリー業務の研修を受けていてレジの知識が入っていない。
昨日やっとマニュアルをもらって、それを読み込んで予習して、今日の4時間で全部叩き込んでやろうと思って臨んだ。
トレーナーさんの話を聞きながらひたすらにメモをとり続けていたら、「必死じゃん」と言われた。
そら必死になるやろ。
時間割いて教えてくれてんねんで。
自分が特殊なんか?
メモ取りながら聞くの普通ちゃうんか?
真面目だねと言われることが多い。
30超えて、自分は真面目なんだなぁと思うようになった(あまりにも言われるので)。
別段自分が人より真面目だとは思っていない。
やろうと思うことをやっているだけだ。
店長やトレーナーさん相手にタメ口で喋るパートや、授業参観の親子交流で親同士ペチャクチャ喋りたくってる大人を許せない自分は、おかしいんだろうか。
新社会人くらいの頃、当時お世話になっていたカウンセラーの先生に「あなたは危険の危に真面目と書いて、危真面目(きまじめ)だ」と言われたことがある。
当時は今よりもっと余裕が無かったとは思うけれど、今もそうなんだろうか。
わからない。
いい加減な人間にはなりたくない。
「いい塩梅」という意味の「いい加減」なら良いけど、無責任で自由奔放な「いい加減」は嫌だ。
とはいえ、もっとゆるくしなやかに生きたい。
ラフでゆるいものが好きだ。
ガチガチな心はポキッと折れてしまうから。
無理矢理周りに合わせてユルさを演出するのではなく、ふっと自然に肩の力を抜けるような、そんなゆるさが欲しい。
自分みたいな人間は環境から受ける影響がバカでかい。
環境をしっかり自分で選ばないと。
無いなら作らないと。
自分が肩の力を抜いて過ごせる空間を。
共通目的
三年前の自分の記事を読んで
あぁ 紛れもなく自分だなぁと
妙な心地よさを感じる
三年経って環境は激変して
当時の心境とはまた違った日常を生きている
・
・
・
母親という立場になり、保護者の集団に放り込まれる。
約二年、いろいろな行事に参加したり役員の仕事をしたりしたけど、結局自ら歩み寄って行こうという気にはなれなかったな。
高校のクラス替えで居場所をなくして学校へ行けなくなった、あの日の自分と然して今も変わりはない。
出来上がった関係性に後から入っていくのは嫌いだ。
自分で壁を張っているのは分かってる。
でも仕事でも学校でも、その壁を崩すことは出来ないまま月日が過ぎた。
これからもきっとそれは変わらない。
大人になってからできる友達というのは、共通の目的を持った相手であることが多いと聞いた。
共通の趣味であったり、親であれば子育てという目的であったり
私がママ友を作る気になれないのは、そこに共通の目的を見出せないからなんだと思う。
今日は授業参観。
親子でボッチャという競技をすることになった。
6人グループで親対子どもの対決。
ローテーションで両チームが交互に一人ずつボールを投げていくのだけど、3ゲーム目くらいで大人はダレて体育館の壁際でぺちゃくちゃお喋りに勤しんでいた。
子どもチームは投げ終わって大人が投げるのを待っている。
そんな状況にもうめちゃくちゃイライラしてしまう。
単調で飽きるのは分かるけど、同じ時間空間を親子で共有することが目的なんじゃないのかって。
子どもが気まずそうに待ってるの見て何も思わんのかって。
そんなイライラを共有する相手は自分にはいなくて、ただ距離を置いていた。
結局のところ浮いているのは自分なのだ。
神経質すぎるのか。真面目すぎるのか。分からない。周りが適当すぎるようにしか見えない。けどたぶん違う。自分が神経質すぎる。
ますます関係を築きたくないと思ってしまう。
自分はどうにも、そういう意味で「親」にはなれそうにない。
こういうことを色々考えてしまうから保護者の集まる場所へ行くのは嫌いなんだ。
どこへ行っても、私だけピリピリしている。
そんな気がする。
もっと適当に生きろよって言われてる気がする。
適当になんか生きてやるもんか。
でももっと肩の力を抜いたほうがいいんだろうな。
それができたら苦労しない。
自分が大事だと思うものは自分で守り抜けるように。